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魅力満載!八ヶ岳を知ろう!

八ヶ岳を知ろう!

八ヶ岳エリアってどんなところ?

八ヶ岳エリアってどんなところ?

北に八ヶ岳、南に富士山、東に秩父連峰、西に南アルプスを臨むことができます。さらに、八ヶ岳、甲斐駒ケ岳、瑞牆山(みずがき山)といった日本百名山があり、各山々の高く清らかな大自然の恵みである「名水」の数々や「食物」、「日本一の日照時間」、古来からの町並みや文化などがバランスよくミックスされた一大リゾート地です。

八ヶ岳エリアには、日本の代表的なリゾート地である清里、国蝶オオムラサキの一大生息地としてしられる長坂、広大な牧場と八ヶ岳の大いなる大自然にいだかれた水が豊富な大泉、最近おしゃれスポットとしても話題で、乗馬などアウトドアが盛んな小淵沢があります。

八ヶ岳誕生の歴史

南北約25kmに渡る八ヶ岳は、地殻変動ではなく、火山活動から生まれました。本州を東北部と西南部に分ける巨大な亀裂「フォッサマグナ」に添う形でできた複合火山というのが、現在では有力な説とされています。最高峰の赤岳と阿弥陀岳の付近から始まった噴火活動後、それに続いて北八ヶ岳一帯、蓼科山が噴火し、最後に硫黄岳が爆発して、今日見られる八ヶ岳の原型が誕生したとされています。「フォッサマグナ」は、石空川渓谷で見ることができます。地球規模の悠久なロマンを観察するのに絶好の地です。

八ヶ岳の名前の由来

「八ヶ岳」という名の山があるわけではありません。八ヶ岳はいくつもの山々が連なった山塊の総称です。ではなぜこの名前で呼ばれるようになったのでしょうか?
広く知られているのは、「連なる山頂の形が八つの峰に見えるから」という説ですが、その他にも、「八雷神を祀り、山岳信仰の地であった権現岳が八ヶ岳権現と呼ばれていたから」、「山々が連なる様子から沢山という意味の「八」の字を用いたから」、「幾重もの谷筋が見える光景から「谷戸(やと)」にちなんでつけられたから」など、この名の由来には諸説あるのです。

八ヶ岳と富士山がケンカした?

こんな逸話もあります。
大昔、見渡す限りの大平原の中、一際高くそびえ立つ二つの山がありました。富士山と八ヶ岳です、あるとき、富士山と八ヶ岳は背の高さを競って喧嘩を始めてしまいますが、一向に決着がつきません。そこで、仲裁を頼まれた阿弥陀如来の提案で、二つの山の頂上に桶を掛け渡し、水を流すことに。流された水は低い方へと流れます。負けたのは富士山でした。大喜びする八ヶ岳。富士山はあまりの悔しさに、桶で八ヶ岳を打ちつけます。すると八ヶ岳の頂上は、八つに砕け、富士山より低くなり、今の姿になってしまったということです。

人や動物、植物が集まる、気候の秘密

母親の胎内と同じ気圧
母親の胎内と同じ気圧
標高1,000mの気圧は、母親の胎内と同じ気圧で、人が非常にリラックスできると言われています。何故か落ち着き、人々が移り住んでくるのは、こんな気候も理由のひとつです。 湿度もあまり高くなく、緑に囲まれて、新鮮な酸素がいっぱい!たくさん深呼吸をして、日々のストレスを溶かし、鳥の声や風の音に耳を澄ませて、都会では味わうことのできない癒しを体験てください。
日本一の日照時間
日本一の日照時間
北杜市はエリアが広いため、地域ごとの気候には大きな違いがあります。茅ヶ岳山麓の明野町は日照時間日本一の町として知られ、観測を始めてからの平均が2625時間、日照率50%以上という太陽の多照地域で、ひまわりの花がよく似合うエリアです。
星降る北の杜
星降る北の杜
八ヶ岳地区は、国の天文台もあるほど、天体観測で有名な地。夜空を見上げれば、満天の星空が望めます。古くから旅人たちは月と星を見て、自らの位置を知り、進むべき知恵を得ていました。いつのころからか、この地から観た月の景観の美しさから、山梨の古名を「月見里(やまなし)」と呼んでいたといわれています。澄んだ空気の中に浮かぶ凛とした月と星。そして近頃では、瞬く満天の星空を望むことができることから、「星見里(やまなし)」とも愛称されています。
野生植物に出会える
野生植物に出会える
日本の高山域を代表する大型動物であるシカやニホンカモシカ、リス、キツネ、ヤマネといった哺乳類たち、また大小さまざまな野鳥たち、さらに数え切れないほどの高山植物の数々など、正に自然の宝庫が北杜市の大きな自慢のひとつです。また、春の名桜や里山には、「いつ来ても懐かしい」魅力がぎっちり詰まっています。

名水の地であるが故の、美味しい食べ物

まずは、お水がおいしい理由

まずは、お水がおいしい理由 日本で生産されるミネラルウォーターの約4割をやまなしが占めています。その中でも北杜市はミネラルウォーター生産量日本一の水の里です。
八ヶ岳、金峰山、瑞牆山、甲斐駒ヶ岳などの山麓では豊富な降雪、降水は地下に浸透し、北杜にすばらしい水資源をもたらしています。1985年に環境省(当時は環境庁)が日本名水百選に選定した「八ヶ岳南麓高原湧水群」や「尾白川」があります。また、2008年に環境省が平成の名水百選として「金峰山・瑞牆山源流」を選定しました。このように、北杜は日本でいちばん水がおいしい高原のまちでもあります。
この美しく、美味しい水がフルーツやワインなど様々なものを育んでいます。
都会では買うしかない美味しい水が、こんこんと湧き出る贅沢。どこまでの透明な水は、見るだけでも癒されます。

フルーツ王国やまなし

フルーツ王国やまなし 八ヶ岳や茅ヶ岳周辺では、その高原性気候をふんだんに活かした様々な野菜や果物が栽培されています。初夏のサクランボやブルーベリー、夏の桃、秋のぶどう、冬〜春はイチゴと四季を通じて、果物が楽しめます。美しい水と日照時間日本一の太陽をふんだんに浴びたフルーツは、味が濃く、とても美味しいです。
高根町のサクランボは標高の高さからシーズンが他地域よりも遅く、例年7月くらいまで楽しむことが出来ます。ブルーベリー農園にはシーズン中になると無数のカブトムシが飛来し、虫除けネットが真っ黒く染まるほどです。
また、須玉の代表的な特産物である「花豆」は、その粒の大きさかや食味から高い評価を得ています。

武田信玄に代表される歴史

歴史を物語る遺跡

北杜市の歴史は縄文時代に始まり、悠久の時を刻んでいます。北杜市大泉町で昭和55年5月に発掘された縄文時代の「金生遺跡(きんせいいせき)」は、国指定史跡の貴重なもので、古来より地域の人々が大自然の恵みを受けて暮らしてきた姿が分かります。

乗馬の町になったのは、

平安時代、源頼義の三男であり甲斐源氏の祖である新羅三郎義光が若神子城(わかみこじょう)を、また谷戸城(やとじょう)をその孫である逸見黒源太清光がそれぞれ築城するなど、古くより戦略・経済・交通の要所として栄えてきました。また当時から駿馬の産地としても知られ、現在の「乗馬のまちづくり」につながっています。

武田信玄登場!

  • ▲信玄棒道 ▲信玄棒道
  • ▲三分一湧水 ▲三分一湧水

戦国時代には天下の名将、武田信玄により信濃攻略の要衝として整備され、特に「棒道(ぼうみち)」と呼ばれる軍用道路を拓き、信濃への進軍や物資輸送に利用されました。棒道トレッキングは、現在人気のスポットとなっております。

また狼煙(のろし)による情報通信ネットワークは強力で、川中島の上杉軍の動きが、甲府の躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)までの約2時間で伝わったといわれています。現在、若神子城址(現ふるさと公園)には、つるべ式狼煙台が復元されています。

江戸時代には、幕府によって甲州街道が整備され、北杜市内には「台ヶ原宿(だいがはらじゅく)」「教来石宿(きょうらいしじゅく)」があり、特に台ヶ原宿は当時の面影を色濃く残した宿場町で「日本の道百選」にも選ばれています。激動の明治期には文明開化の流れを受け、市内にも先進的な西洋建築が誕生しました。明治8年に落成した旧津金学校(つがねがっこう)は、現存する擬洋風建築の中では日本最古のものであり、さらに同校の敷地内には明治・大正・昭和の校舎が立ち並び、須玉歴史資料館や農業体験農園施設「大正館」、そしてレストラン・宿泊施設などを備えた「おいしい学校」として親しまれています。

戦後の北杜市は、八ヶ岳南麓を中心に故ポール・ラッシュ博士と米国市民の国際協力により、酪農・高原野菜によるモデル農村づくりが進められ、北海道から九州まで全国の高冷地農村復興のお手本となりました。それと並行して欧米をモデルとした観光による地域振興も進み、全国的に有名な高原リゾート地として発展しています。

【参考サイト】
北杜市観光協会 http://www.hokuto-kanko.jp/
ビタミンやまなし http://vitamin-yamanashi.jp/

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